諫早市議会 2019-12-02 令和元年第5回(12月)定例会(第2日目) 本文
甲斐の山々、その後、人は石垣、人は城と、議場で歌を歌ったらどこでも問題になりますので歌までは行きませんけれども、歌詞のフレーズとして、人を大事にしないと組織はきちんといい仕事ができない、そう思っております。 現在、諫早市の職員の数は条例で定めたり、いろんな計画で定めた定員というのがある。そして現在が何人か。これについて、お伺いして、今現在、職員としては足りているという認識におられるのか。
甲斐の山々、その後、人は石垣、人は城と、議場で歌を歌ったらどこでも問題になりますので歌までは行きませんけれども、歌詞のフレーズとして、人を大事にしないと組織はきちんといい仕事ができない、そう思っております。 現在、諫早市の職員の数は条例で定めたり、いろんな計画で定めた定員というのがある。そして現在が何人か。これについて、お伺いして、今現在、職員としては足りているという認識におられるのか。
その後、市民の方々から、平成17年に五島市合併一周年を記念してつくった市歌を最近聞かなくなった、また、市歌があるのは知っているが歌詞やメロディーを知らないなどのお声をいただいているのですが、現在の市歌の活用状況についてお伺いします。 ◎総務企画部長(久保実君) お答えいたします。 まず、五島市歌が完成した当初にCD約2,500枚を市民の方々に無料配布いたしまして、その普及に努めたところであります。
非常によいことだと感じていますし、私も歌詞を見ないで大分歌えるようになりました。13番議員が、いつもドヤ顔でこの大村市歌の普及を訴えておりますけれども、私もその中の一人でありたいというふうに思っております。そこで、音源を新たに作成することを提案したいなと思っております。 これは、今ある音源も非常にいいです。
そして、式典で必ず歌う大村市の歌ですけれども、これも、その3名の方の1人から指摘があったんですけれども、「岩永さん、大村市の歌の歌詞、よく知っているの」と言われまして、その2番目に、「城あとの 歴史ゆかしく 真珠光り 花咲くところ 育英の誉れも高く 輝ける 文化の都 大村市 永久に栄えよ」とありますけれども、私も、ぼうっとして歌っていて、チコちゃんに怒られそうですけれども、その「たま」の意味が、もうただ
雲仙市の歌につきましては、市民皆様のさらなる一体感の醸成と子どもたちの郷土愛を育み、市のイメージアップにつながることを目的として、平成28年度から取り組み、全国から応募いただきました歌詞及び曲について、雲仙市市歌検討委員会での選定を経て、平成29年11月に決定いたしました。
◆16番(水上享君) 今の時代に即した形で取り組まれているということでございますが、私はずっと気にかけておったんですが、バスターミナルの上に観光ホテルがあるんですが、そのホテルのおてもと、箸の袋の裏に大村ワルツという歌詞を刷り込んであります。そういった意味ですばらしいなと。こういった形で大村をPRあるいは宣伝をしていただいているんだなということで非常に私は感心をいたしております。
ちょっと練習が足らなくて自信がないですので、1番だけ歌詞を紹介させてもらいます。 雲仙岳からふく風に 大地目覚めて豊かな恵み 生きる喜びともに満ち 希望にむかううんぜんは 心ふれあうふるさとよ。 素晴らしいですね。ぜひ広報活動よろしくお願いいたしまして、この質問を終わります。 それでは、最後になりましたが、また総務部の関係かなと思っておりますが、大変申しわけありません。
表彰式には、歌詞と曲の最優秀受賞者にお越しいただき、市内7地域のコーラス団体によって結成されましたレインボーハーモニーの皆様に歌っていただき、最後は会場の皆様全員で合唱いたしました。 雲仙市の歌の完成に向けて御尽力いただきました雲仙市市歌検討委員会の皆様に厚く感謝申し上げますとともに、今後は、末永く市民の皆様に愛され親しまれる歌となるよう、普及に努めてまいります。 以上でございます。
◎教育長(遠藤雅己君) 決意というか、当初は大村弁でラジオ体操は、教育委員会内で指導主事と話しながら、郷土を知る上で、中学生等を中心に、クラブ活動等でこれを制作したらどうかということで、意見もあったんですけれども、そのころ大村弁で語ろう会という月1回、例会を開いている会があるということで、大村の方言を研究されている方々の御協力のもと、歌詞を方言に直すところまで、今のところ完了しているところでございます
市の歌につきましては、12月1日から2月14日にかけて、市の歌の歌詞の募集を行ったところ、市民を初め、全国の皆様から179作品の応募があり、審査の結果、東京都在住の石原一輝様の作品を最優秀作品として決定いたしました。 御応募いただきした皆様に対し、厚くお礼申し上げますとともに、今後、曲の公募を行い、市民の皆様に歌い継がれる市の歌の完成に向けて取り組んでまいります。
◎政策企画課長(井手潤也君) 市歌の進捗状況というお尋ねでございますが、歌詞のほうの募集を12月から2月にかけて行いました。現在、結果としては、全国から179の歌詞が応募をされまして、大変たくさんの歌詞が集まったと思っております。 現在、各委員会を設けておりますが、委員の皆様にも選考を進めていただいておりまして、年度内の3月中に歌詞の最優秀を決めたいと思っているところでございます。
行政への市民参画の機会の充実につきましては、雲仙市のさらなる一体感の醸成、子どもたちの郷土愛を育むため、現在、市民の皆様から愛され歌い継がれる雲仙市の歌の作成に取り組んでおりますが、4月には歌詞の選定とともに、曲の募集を行い、8月を目処に完成できるよう進めてまいります。
私は、従来の歌詞そのままでよいと思っておりますが、これまで市民の声を伺う機会をつくったり、歌詞の一部を新諫早市に合うよう変更してはなどの検討がされたかを伺います。 この件につきましては、これまで早田副市長と、るる議論させていただいておりますので、ぜひ早田副市長に御答弁いただきたいと思います。 大きな2項目め、諫早市長選挙及び諫早市議選の日程と投票率向上対策について。
メロディーのみであれば可能かもしれませんけども、やはり歌っていいますのは、メロディーと歌詞があって初めて成立するものでございますので、周知ということを目的として防災行政無線を通して流すというのはなかなか課題が多い、そのように考えております。
今では歌詞の石碑が小田急線参宮橋駅の横に建てられているだけで、川は暗渠で隠れてしまっています。百年もの昔、東京でも当時は、川岸にはレンゲやスミレが咲き、エビやメダカや小ブナが泳いでいたのであります。 鷹島の谷郷川、福島の浦川、今福川、調川川、悪太郎川、竜尾川でも魚や植物が昔と同じように見られるのでしょうか。
当時の貧しい島原半島の生活の様子が背景にあるものと思いますし、この悲しい歴史が島原の子守歌の歌詞の中にも出てまいります。 また、ことし2月の「広報しまばら」において、湊道にある理性院大師堂の天如塔について紹介された中で、建立には「出稼ぎ労働者の浄財が用いられた」と記載してありました。
この「ひとひら」という歌詞に込められたものがまさしく、この角館と大村市を結ぶきっかけをつくったことを表しているのでございます。 私は本来ここで楽曲を皆さんに聞いていただいて、ぜひとも判断をしていただきたいと思っていたのですが、要は提案の内容はこうです。
私の持ち歌の1つ、長崎の町を歌った相撲甚句に「武士の魂を磨屋町、腕の自慢は元大工、たたき大工は新大工、これでも昔は船大工、ここらで一杯酒屋町、酒の肴は魚の町」などの歌詞があります。古い町並みの復活は長崎観光に大きく寄与するんではないでしょうか。
昨日は、有仁の集いという異業種の集まりがあるのですが、今、私は2団体の中で、旧諫早市歌を歌う会というか、有仁の集いの中でも歌うことになったのですが、「まねく雲仙呼ぶ港、伸びる十字路ふみしめて、若さみなぎる諫早市、ああ明けわたる世の朝、力あわせて進もうよ」という、これは1番の歌詞なのですが、今、諫早市が10年を迎え、これから先、この諫早市歌、旧諫早市歌ではございますが、今の諫早市にとても合う歌詞であると